自宅復旧

地震に関しては怖さのほかにも怒りみたいなものを感じていました。
余震も回数多くて、寝入ったころに、忘れたころにズドンときますからね。
ほんと「バカヤロー!!」って何度も思った。

なので、前通り片付けても絶対また崩れる。
こんな作業は二度としたくないから、今回ちゃんと減災の片付けとしようと心に決めていました。

パソコンは不安定なままだったので、息子にHDDをSDDに変えてもらう。
ゴールデンウィークが終わり仕事も再開しました。
再開したものの、気持ちが全く仕事に向かいませんでした。

それぞれ自分の居場所で頑張っている家族。
自分は家に引きこもってずっと片づけをしています。
もうそれしかやることが思いつかなかった。
日常的な運動もしなくなり、体重も増え、お酒に逃げ、体も弱っていきました。

この辺はもうほとんど病んでたと思います;アル中ぽくなってて、朝からは沈んでて、夕方飲むときだけ元気という毎日。家を離れ家族バラバラになることがとにかく怖かった。

被災が軽かったから弱音なんて吐いてはいけないと思っていました。
加えて、旦那さんは災害の最前線にいてほとんど毎日帰れないわけで、娘はあの揺れの中受験勉強を頑張っていました。
水も出るようになり、ちょっと落ち着いたころにやってきた心の疲れでしょうか。

片づけはひたすら続きます。
とにかく早く終わらせたい一心。

思い出の品が散乱した物置。低い棚にしてモノを減らしました。並んでる本が見えるようになり。棚も積み方を変えて重いものや大きいものを下に置きました。

2Fフリースペース。ようやく日常生活が送れるように。

和室は廃棄予定のごみ置き場と化してました。

震災ごみは、西部環境工場に息子と自家用車に積んで持参。
多いから相当待つと聞いていたものの、平日で、直投する分はさほどでもなく、粉砕が必要な大型ごみに待ちが出ていました。
うちらはのごみは本棚など粉砕が必要とのことで5軒分の待ち。
工場から帰るときの解放感といったら。
途中、道の至るごみ捨て場にとっくに役目を終えた「ブラウン管テレビ」が捨てられてあり、それ災害ごみじゃなかろうもんと、残念な気持ちになりました。

ひと月ぶりのお仏壇の開帳。前震後閉めていたので、仏具の散乱も最小限で済みました。灰などは買いなおしました。娘と仏壇の掃除をしました。

被災の写真をまとめて、罹災証明を7月26日に申請し、
自宅外壁の修理は7月29日に息子がやりました。
ハウスメーカーさんにも確認&見積もりしてもらったけども、優先するご家庭がたくさんありすぎる。
お金もないので、亀裂20か所程度をコーキング埋めて終了。

地震保険は入っていないと思っていましたが、なんと加入していました。
これは助かった。
電子レンジ、洗濯機、掃除機、炊飯器、は地震で壊れましたし。
多くの家庭でダメだった大型薄型テレビが大丈夫だったのは運がよかったとしか思えません。

地震関係のカード支払いは8月だけで22万だったそうです。9月、10月、と続く;
ほとんど被災してないうちでさえこれだから、他のご家庭は相当なものでしょう;
災害からの復旧って結局は経済力なんでしょうね。世知辛い。

話は戻って5月中旬、自宅内の片付けが終わったころ、ライフラインもすべて元通り。
運動も再開できるし、気持ちも晴れやかになるハズだったのに、ここでワタシはまた至らんことをやりだそうとします。

至らんというのはその行為を指すのではなく、自分が壊れかけてたことにも気づかず、太ったこともどうでもよく、仕事もそっちのけでますます災害復旧にのめりこんでいく、自分も周りもみえてないのが今ならわかる。
仕事が一時期無くなったことが災いしたか、役に立たない自分が嫌だったのでしょうね。

災害ボランティア・・・今思えばこれは迷宮の入り口だった。

次回、災害ボランティアに続く。