災害ボランティア

自宅の片付けが済んだ5月中旬。
もうずっと気になって気になってしようがなかった災害ボランティアへ。

結論から言えば、何もできない自分を知り、病んだ。
何かできる自分をアピールでもしたかったのかと当時の私に言いたい。

予定していたマラソン旅は航空券も含めぜんぶキャンセル

最初は知人がたくさんいる西原村へ。

団体申し込みでない飛び込みのボランティアはマッチングがたいへんそうで恐縮した。
このマッチングだけで何人もの職員さんがかかりきり。
『せっかく来ていただいたボランティアに何かをしていただく』ために、パソコンでできることをわざわざ手書きでするみたいな作業もあった。

その通りなんだけど、実はあまり役に立った気はしていない。

5月も中旬になると、仕事がある人は動きだし、平日の昼間に避難所にいる方というのはほぼ、高齢者か動きたくても動けない人なのでした。
エコノミー症候群などの予防で、運動する時間があるのだけど、何人かはもうほっといて欲しいオーラがばりばり出ている、そんな雰囲気の体育館で、静かに業務していましたが、避難所運営が上手にできているところでは、ボランティア作業もすぐ終わる、することがなくなるのでした。

益城町へ。平日でもたくさんのボランティア志願の方が・・・知人とも会いました。

平日は在宅が少なくマッチングがうまくいかないのだそう

ガレキとか言ってる;被災家財だよね、すみません;

この満足げなツイート、今見ると穴に潜りたい;;;

現地では自己完結ということで、食糧なども持参しました。
担当家屋の老夫婦のかたが「水だけは出るけん」といって、よく冷えたお水を出してくださったのですが、まだ濁った味がしました。それでも一緒に入ったボランティアの何人かは「美味しい美味しい」といって飲んでいました。

外回りの片づけは危険で大変です。
ブロック塀の撤去は男性しかさせてもらえなかったので、瓦や木材、植木鉢などの撤去のグループに挙手しました。
男性を希望されてたので、一緒に入ったボランティアの方は私が男じゃなかったので舌打ちしたことと思います。
そこで役に立たない自分になりたくなかったので必要以上にがんばりました。(後日発熱することになるのですが)

現地で見聞きしたことが頭を離れなかった。やり遂げた自分に酔って現実逃避してる状態。

外回りはやはり危険だと思った。破傷風も(私は接種済み)。粉塵でのども痛くなった。

不審者と区別するためのボランティアシール(右)ボランティア保険は期間1年、去年のが切れてたことに気づいて西原村での受付の時に再加入。

念願の外回りボランティアを経験し、なんだかやった気になっている自分、
しかし現実はその後発熱。

軽い熱中症ぽかった。外作業のボランティアをやるには体力が到底不足しているのを実感。完全に運動不足。

娘からも心配される

次のオファーがあり、自分の体力を過信したまま次のボランティアへ。

関西の知り合いが来熊。何かボランティアしたいとの申し出をいただく。雨でボランティア受け入れ中止が事前に分かったものの、現地アテンドを頼まれていた私は知人を頼る。

その後も何回か入らせていただいた農業ボランティア、全身筋肉痛になるようなたいへんな作業もありました。
たくさんの農業ボランティアを受け入れていらっしゃるそうで、確かにこの広い畑を管理するのはたいへんなことです。
現地をまざまざと見せてもらって、地震のすさまじい破壊力に愕然としました。
地形自体がうねっている、そんな印象。

農業ボランティアも夏の畑仕事のあとはまた発熱し、何かダメな自分を実感するばかりでした。

体力がないことを自覚し、このころから、ボランティアをしたいという知人と現地のマッチングを行うようになる。
頼まれると頑張ろうって思えたし、被災の激しい地域に知り合いも多くいる自分が動くべきだと思っていました。
この繋げる役割は年内中続き、ツイッターでしか知らない方やその紹介など、いろんな方と連絡を取り合い、リサーチしたりの日々が続きました。

四国から。

兵庫県から。

地震がなければつながらなかったご縁。熊本のことを思ってくれてありがとう。

いろんな方の思いを繋げたい一心でした。受け入れ先になってなってくださった方には、ご自身もたいへんだったろう中に感謝しかないです。
私はこうしてなんとか繋げることができたのでほっとした思いですが、
その後、ぷっつりと連絡が途絶えてしまった方もいたので、きっと心身ともに疲れられたんだろうなと、とても申し訳なく思っています。

自分も東日本大震災のとき、個人を頼って義援金を送りましたが、現地とマッチングしてくれた友達はたいへんだったろうな、ということが今ならわかるのでした。
その彼は、今回の熊本地震でも義援金を集めてくださったんですが、私らの手を煩わさないため、公的なところに寄付されました。

せめて、運動は続けとけばまた違ったかもしれない。

気付いたら体重が8kg増量していました。きっとほとんどアル中だったのだと思います。
頻繁に行ってた街への飲み会にも参加しなくなり、毎日の楽しみが家で食べること飲むことだけでした。
この体重計を見たときにはさすがにプツンと何かが切れた。

支援に関しては、親しい方たちの諍いも起きてしまい、人間関係に変化がありました。
きっと誰も間違ってなんかないんだけど、受けとめ&流せるだけの気持ちの余裕もなく、災害は諍いも生むという事実だけが残りました。
一番変化したのは、自分の価値観とか心情だったと思うし、一緒に活動するのがつらくなった方とは距離をとりました。

これまでわりと外向きの生活を好んでしていて、あちこち出かけては自分の経験を増やすことが好きでした。
地震が起きてからは、地元の団結が何より自らを助けることも強く実感したし、家族と離れるのが怖くて出かけられなくなった。

気付いたら有難かったはずの人の思いとか外界の刺激に対して何もかも疲れてしまい、『とにかく静かに暮らしたい』という気持ちになっていました。
被災された方も、「~しなければならない」毎日と、「ありがとう」を言い続けるのに疲れたのかもしれないなぁと、あとから思いが至りました。

所属していたランニングサークルからも抜け、災害ボランティアからは遠ざかりました。