本震から2日後、山を抜けて海側の温泉へ。
仕事も無くなった、パソコンも動作不振。
この機会にOSをWindows7→Windows10にすることにした。
19日・・・日持ちがしない食材を持ち寄って友達らと自宅宴会(飲酒)
その後も話すことで気を紛らわしてる。
復旧作業も高速が開通したこのころから本格的になった。
全国からの支援で道路は連日大渋滞。
仕事は全くないわけじゃなかったけど、余震続いてて
電気がいつ止まるかわからないので辞退してました。
ワタシは電気がないと職を失うようだ;
4月21日、仕事部屋復活。
災害対応な旦那さんも気になる。
4月22日、出たり止まったりだった水がちょろちょろと出始める。
まだ濁ったままで飲料として不可、この後も計画断水等で安定しない。
その後も自宅の片づけは続く。
思えばこの片付けでまず視野狭窄に陥っている。
この時はとてもありがたく、人のご縁に感謝したのは本当。
今後何度も日本列島は災害を体験することになると思うので本当のことを申し上げますと
レトルトなど備蓄物資は避難所でも余り出しました。
カレーやカップ麺などはどこの家にも備蓄があり、
そうそう何日も食べ続けられないのです。
不足していたのは日配・生鮮食品。
この後、各方面へのお礼に散財することになるのでした。
(10万くらいかかった)
東北で東日本大震災を経験していた友達はこれを分かっていて、
あえて何もしない選択をしてくれていたことにあとから気づく。
うちはガスと電気は止まってません。水道は飲料水として使えないまま5月へ。